2026年4月。私は、13年ぶりの現場実務、そして見知らぬ極寒の地・釧路にいた。
「降格」と「左遷」
その重い言葉に打ちのめされ、一時は全てを失った感覚に陥った私が、この1週間で何を思い、どうやって「自分軸」を取り戻そうとしたのか。
絶望と、リセットボタン
週の前半、私の心は暗闇の中にあった。名古屋での安定した生活から切り離され、強制的に「何者でもない自分」に引き戻された感覚。
今年で50歳という年齢での急激な環境変化。会社という「他人軸」に人生を預けすぎていたことに気づかされた、痛みの記録だ。
持っているものを数え直す
どん底で気づいたのは、会社が奪えない「自分だけの資産」だった。
役職という「記号」は失ったが、積み上げてきた貯蓄、支えてくれる家族、そして趣味のギターや釣り。本質的なものは何一つ奪われていない。そう気づいた時、少しだけ呼吸が楽になった。
中盤、視点を180度切り替えた。「不遇」を「自分を磨くための投資」と定義し直すことにしたのだ。
65歳以降の自立に向けた、神様からの「強制ブートキャンプ」。そう思えば、現場での慣れない作業も脳の若返り訓練に思えてくる。
週末、私は自分の手で環境を整え始めた。会社に流されるのではなく、自分で航路を描く。
一週間の締めくくりに食べた、釧路「鮭番屋」のイクラ丼。あの黄金の輝きは、これからの生活を象徴しているようだった。
「急ぎすぎている気がする」
自分の直感に従い、今日は徹底的にダラダラ過ごす。ここから、本当の再起動が始まる。私はどんな顔をして凱旋するだろうか。釧路の風に吹かれながら、私は私を取り戻していく。
